想像のかけら

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自作小説と三国志を中心に、関心事などを投稿します。是非お立ち寄り下さい。

小説【飲み会に死す】

 飲み会はあまり飲めない者にとってはこの上ない苦痛な時間です。それが会社の飲み会なら、なおの事です。仕事中の会話とはまた違った難しさ、集団での会話のやりにくさが存在するのです。

 先日、新入社員の歓迎会という事で、その飲み会に参加した時の事です。自分が何故参加メンバーに選ばれたのかは、私にはまるで分かりませんでした。もっと盛り上げ上手や、適任者がいるではありませんか。私が選ばれた意図は皆目見当つきませんでしたが、とにかく行くことになったのです。新入社員は研修で、色々な部署を回っていたようなのですが、私の所属する部署では研修はなかった為、新入社員との面識はありませんでした。ただ今年は体育会系の男性が多く、勢いがあるとの評判でしたので、私は参加が決まった時、薄々嫌な予感がしていたのです。

 歓迎会当日。新入社員7人、社員13人での席でした。新入社員は7人とも男、社員も10人が男という、何とも暑苦しい感じでしたが、新入社員は皆感じのよさげな好青年でした。社員とも気さくに会話しており、良好な雰囲気です。開始早々、私にとって最大の問題はこの場をどう乗り切るか、飲み会が何時間程続くのか、この2点に絞られました。酒が弱く、口下手な私にとっては避けては通れぬ問題でした。そして私の任務は、頼んだ一杯の生中を飲み切る事と、もう誰も食べないであろう料理や、付け合わせを残さずにさらえる事でした。

 

 私はこの場を乗り切るためアイデアを絞り出しました。仲の良い人間がいれば、その人と話していればいいのですが、今日は不在のため、別の手段を考えるしかなかったのです。私は他人の会話にたまに笑いもしながら、相槌を打つ、たまに飲む、残っている料理をさらえる、たまにスマホを覗く、行きたくもないトイレに行く、これらを巧みに織り交ぜ、ひたすら時が過ぎるのを待ちました。トイレに行く頻度が多すぎたおかげで、頻尿というレッテルを貼られました。しかし、私は一つの真理にたどり着いたのです。飲み屋での会話というのは、話を理解できていなくても、聞いてなくても、適当に相槌さえ打っていれば何とかなるのです。たまに笑顔を見せれば最高です。話している人間も、聞いている人間も、会話の内容をよく分かっていないのかもしれません。仕事とは違い、適当でも成り立つのです。大事なのは雰囲気なのだと悟りました。

 

 中盤に差し掛かると新入社員の一人が、大盛りメニューの挑戦を志願しました。いい食べっぷりに見ていて気持ち良かったのですが、活気にあふれた態度と、やはり隠す事のできぬ若さとフレッシュな感じに圧倒され、もう自分も若くないのだと、少し気が滅入りました。

この飲み会には、上司の岡田さんも参加していたのですが、突然「平社員の平田」と呼ばれたのは不意打ちでした。岡田さんが、またセンスのかけらもないギャグを言っておられる、そう思いました。新入社員が何とも言えぬ苦笑いを浮かべているのには、流石に同情しました。岡田さんは仕事もできて、人望もあり、普段はそんな事は決して言わないのですが、たまに酒癖が悪い時は、このような失言をするのです。以前も一度、このような発言があり、後日「昨日なんか言ってなかった?」と聞かれた時があったのですが、流石に正直には言えず、大丈夫でしたよと一言答えた時がありました。今回もどうやらそうなりそうです。ともあれ、適当に受け流しました。

  

 そして、2時間程続いた飲み会も、待ちに待ったお開きの瞬間がやって来たのです。我ながら、よく耐えたと思いました。まさに解放感と心が軽くなった感じがしました。しかし、帰宅して風呂に入っている時の事です。変に生真面目なところがある私は、今日の飲み会での自分を客観的に振り返ってしまったのです。ろくに話せず、発言できなかった自分を惨めに感じ、一瞬死のうかなと思いました。勿論半分は冗談ですが、今日の風呂は地獄のような時間でした。その日は風呂から上がるとすぐに眠りに就く事にしました。真の孤独は集団の中で、疎外感や馴染めないと自覚した時にこそ存在するのかもしれません。