想像のかけら

想像のかけら

自作小説と三国志を中心に、関心事などを投稿します。是非お立ち寄り下さい。

小説【人には言えない①】

 俺には周りの人間に秘密にしている事がある。家族、友人、職場の人間、勿論妻にも決して知られてはならない。なぜなら俺の男としての沽券に関わる事だからだ。端的に言うとそれは女装癖である。まさか30歳を目前にして女装に目覚めるとは思ってもみなかった。だが困った事に、今の俺の女装への情熱は留まる事を知らないのである。快感と誰かに知られる事への恐怖が入り乱れる修羅の道。理解者が周りにいるとも思えない。断言しよう。女装を肯定する者、即ちそれ聖人または余程の変わり者であると。では俺は

 それは些細な事だった。その日は仕事で理不尽に怒られた事と、最近細かいミスが積み重なってストレスがピークに達していた。帰宅すると妻は留守の様だった。机の上には妻の化粧品が散乱している。

「もぉー。出しっ放しなんだからー」

不満を漏らすも特に片付ける事なく、俺は晩酌を始めた。この怒り、全て酒で洗い流す。こういう日は飲むに限る。しかしちっとも気持ちが落ち着かない。もうなんだってええわという投げやりな気分で、俺は妻の化粧品を手に取り、適当に自分の顔に塗り始めた。理由は特にない。ただ他にやる事がなかったのだ。化粧品の事など一切分からなかったが、塗れば何だって一緒なのだ。一通り終わってからふと我に返った。全く今日の俺はどうかしている。妻が帰ってくる前にメイクを落とさねば。水で洗い流す前に俺は、自分の顔をまじまじと鏡で見た。

ん、案外悪くないんじゃないか。直感的にそう思った。気分が悪いので不機嫌そうな表情をしていたはずだが、実際に鏡に映った顔は幾分か余裕のありそうな感じに見えた。酔っていたからそう見えただけかもしれないが。磨けば輝く原石かもしれん。俺の内に潜む素晴らしさを化粧によって際立たせる事は出来ないだろうか。そう思った。ダメダメ、何考えているんだ俺は。とにかく化粧を落とすのが先だ。妻が帰ってくる前に。

 「ただいま」

「おかえり」

 化粧品はなるべく元にあったであろう場所に置いた。怪しまれずに済んだようだ。妻もまさか俺が数分前まで化粧をしていたとは思いますまい。

「晩酌やってんの?」

「うん。一緒に飲もうよ」

それから俺はもう少しだけ飲んだ。この日を境に自分が女装に目覚めるとは誰が想像できただろうか。

 この三週間後。妻とデパートに行った時の事。化粧品を買いに行くようなので、俺も同行した。妻が買う物を選んでいる間、俺も適当に見てみる事にした。普段は何も思わなかったが、色々な化粧品があるんだなと思った。値段もピンキリの様だが、何がそんなに違うのだろうか。メーカーも知らない物がほとんどだった。

「お待たせ。そんなに真剣に眺めてどうしたの?」

「いや、行こうか」

妻は、いつも使っている化粧品とは違う物を買ったようだった。たまには冒険しようと思ったらしい。俺はこの言葉を聞いて一つ決断した。俺も冒険してみようと。密かに自分の使う化粧品を買おうと決めたのだった。化粧を初めてした時の不思議な感覚。その感覚をまた味わえれば。踏み出す必要のない冒険なのは言うまでもない。

 

 妻曰く、化粧品は自分に合う、合わない物があるようだ。新しく買った物は、以前使っていた物より合うらしい。正直俺には、前と今とで何が違うのか分からなかった。

さてどんな化粧品を買えばいいのか。化粧品はスキンケアとメイクアップのための物がある事、アイテム別の役割や細かな違い等、買う前に色々調べたが、『安い おすすめ』か何かで検索し、ネットで最低限の物だけを買う事にした。道具に特にこだわりはない。俺は何も女性になりたいわけでもなければ、高い完成度を目指しているわけでもない。ただ普段とは一目違った自分に会いたいだけなのだ。そこを勘違いしてはならない。妻には知られないよう細心の注意を払った。

さて注文した道具も徐々に揃ってきたが、ウィッグを買うのを忘れていた。髪型を変えるのは必要不可欠である。やはり髪型一つで印象は変わるものだ。ロングのウィッグをネットで注文した。何でもネットで買えるいい時代だと痛感した。 

 数日後、道具も全て揃いここから本番である。早速メイクと行きたいとこだが、やり方が分からないので、まずは化粧の仕方を調べなければならない。実践を学ぶには動画が一番分かりやすいだろう。とはいえ妻がいる前では見れないので、20時頃迄待つ事にした。

20時、妻の入浴時間。シャワーの音が聞こえたのを確認した後、早速YouTubeを開いた。皆さんはご存知だろうか。YouTubeには女性のメイク動画が溢れている事を。芸能人から素人まで、その投稿は様々である。これを参考にしない手はない。動画の時間もほとんどが10分程度なのも有難い。再生数の多い素人の動画をいくつか見てみる。

「色々あるんだなぁ」

「そんなの見てどうするの?」

「ひぇぇぇぇー。いつ上がったのよ?」

「さっきだけど。へぇー、そういう子がタイプなんだぁ」

動画に夢中になり過ぎた。イヤホンをしていたので、妻が上がった事に気付かなかった。危うく勉強中と答えるところだった。

「いや、なんか突然あなたへのおすすめで出てきた動画なんだけど、たまたま指が触れちゃって再生したところを運悪くお前に見られただけなんだ。だからこの動画を再生したのは俺の意志ではないんだ」

「どうだかね」

「風呂入ってくるわ」

不覚だった。でも咄嗟にあの答えが出たのは奇跡だった。幸い見られたのが動画を見てた時で良かった。もしメイク中だったら終わっていた。しかし妻は妙に鋭いところがある。これからはもっと慎重にならねばいかん。俺の尊厳にかけて。

この日の出来事は俺の気を十分に引き締めた。そしてメイク遂行への想いが高ぶっているのを感じた。

 

②に続く