想像のかけら

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自作小説と三国志を中心に、関心事などを投稿します。是非お立ち寄り下さい。

カフカの名言が度を越したネガティブで笑える

フランツ・カフカとは

チェコの作家。プラハ生まれのユダヤ人で、法律を学んで労働者災害保険局に勤務しながらドイツ語で小説を書いた。人間存在の不条理性を表現した作品を残し、実存主義文学の先駆をなした。作品「変身」「城」「審判」「アメリカ」など。(1883-1924)

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 ネガティブ過ぎるカフカの名言

将来に向かって歩くことは、僕にはできません。将来に向かってつまづくこと、これはできます。一番上手くできるのは、倒れたままでいることです。

バルザックの散歩用ステッキの握りには、「私はあらゆる困難を打ち砕く」と刻まれていたという。僕の杖には、「あらゆる困難が僕を打ち砕く」とある。共通しているのは、「あらゆる」というところだけだ。

幸福になるための、完璧な方法が一つだけある。それは、自己の中にある確固たるものを信じ、しかもそれを磨くための努力をしないことである。

全てお終いの様に見える時でも、まだまだ新しい力が湧いてくる。それこそお前が生きている証なのだ。もし、そういう力が湧いてこないなら、その時は全てお終いだ。もうこれまで。

いつだったか足を骨折したことがある。生涯で最も美しい体験であった。

僕はいつだって、決して怠け者ではなかったと思うのですが、何かしようにもこれまではやることがなかったのです。そして、生きがいを感じたことでは、非難され、けなされ、叩きのめされました。どこかに逃げ出そうにも、それは僕にとって、全力を尽くしても到底達成できないことでした。

僕は彼女なしでは生きることは出来ない。しかし僕は、彼女と共に生きることも出来ないだろう。

誰でも、ありのままの相手を愛することは出来る。しかし、ありのままの相手と一緒に生活することは出来ない。

僕は父親になるという冒険に、決して旅立ってはならないでしょう。

ちょっと散歩をしただけで、ほとんど三日間というもの、疲れのために何もできませんでした。

一切の責任を負わされると、お前はすかさずその機会を利用して、責任の重さのせいでつぶれたということにしてやろうと思うかもしれない。しかし、いざそうしてみると気付くだろう。お前には何一つ負わされておらず、お前自身がその責任そのものにほかならないことに。

僕は人生において必要な能力を、何一つ備えておらず、ただ人間的な弱みしか持っていない。

もう五年間、オフィス生活に耐えてきました。最初の年は、民間の保険会社で、特別にひどい物でした。僕の事務所に通じる廊下で、僕は毎朝、絶望に襲われました。僕より強い、徹底した人間なら喜んで自殺していたでしょう。

生きることは、たえず脇道に逸れていくことだ。本当はどこに向かうはずだったのか、振り返ってみることさえ許されない。


 上記の名言は、頭木弘樹著『絶望名人カフカの人生論』から引用しています。

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著書の紹介

 絶望名人とタイトルにある通り、カフカの絶望感が惜しみなく紹介されている珠玉の著書。前向きな発言はなく、一貫してネガティブなのが笑えます。

 左ページにカフカの名言、右ページに著者頭木氏の解説が載っています。恋人や親に宛てた手紙等、どんな時にカフカが記したのか、その関係性も分かって面白いです。また、将来に絶望した、自分の心の弱さに絶望した等、カフカの様々な絶望が各単元にまとめられているのも地味に笑えます。ネガティブなだけでなく、ユーモアや思わず共感してしまうものも多々あり、落ち込んでいる時や上手くいかない時等に読むと思わず心が軽くなります。

 僕が大学生で就活中の時、本屋でたまたま見かけて購入し、目当ての就活本は買わずに帰った事を思い出します。社会人になった今でも定期的に読みたくなる一冊です。読みながら、自分の隠れた才能も、このカフカの名言の如く突き抜けてくれないかなと思うこともあります。

 ポジティブでいることに苦しさを感じた時、元気を出したい時や、くすっと笑える本を読みたい時等に、読んでみてはいかがでしょうか。