想像のかけら

想像のかけら

自作小説と三国志を中心に、関心事などを投稿します。是非お立ち寄り下さい。

三国志【凌統(りょうとう)】孫権を窮地から救った勇将

-目次-

 15歳で父の後を継ぐ

 父の凌操は孫策・孫権に仕えた武将でしたが、203年、黄祖討伐戦で流れ矢に当たり命を落としてしまいます。孫権に凌操の功績を称えられた凌統は15歳の時、別部司馬に任命され、行破賊都尉として父の軍勢を率いる事になります。

 206年の山賊討伐に参加した際、凌統は督である陳勤の好き勝手な振る舞いを咎めたため、陳勤から怒りを買ってしまい、自分や父の凌操を罵られてしまいます。凌統は涙を流しながら堪えていましたが、その悪口が帰り道にまで及んだため、我慢できなくなり陳勤を斬りつけます。
陳勤はその傷が元で死亡し、責任を感じた凌統は、死んでお詫びするしかないと敵軍に猛烈に突撃し、敵軍をさんざんに打ち破りました。凌統は自首しますが、孫権はこの話を壮快に思い、功績を称え罪を許します。

 

黄祖討伐戦で手柄を立てる

 208年の夏口での黄祖討伐戦では、凌統は董襲(とうしゅう)と共に先鋒となり、数十人の兵を従えて、一隻の船で本隊から数十里も離れたまま航行し、黄祖配下の張碩を討ち取り、水兵をことごとく川に落とします。本隊に戻った凌統は孫権に状況を報告し、手勢を率いて全速で進航したので、凌統と孫権の水陸両軍が一斉に集結する事になります。この時、呂蒙が黄祖の水軍を打ち破り、更に凌統が率先して城を叩いたため、黄祖の城は遂に陥落しました。その後、孫権は黄祖を討ち取る事に成功しています。この功績で凌統は承烈都尉に任命されました。

 この黄祖という人物は、孫権の父、孫堅に攻められた際、配下の武将が彼を射殺した事で、孫権から仇として狙われる羽目になった少し気の毒な人物です。更に、孫権配下の甘寧は元々は黄祖に仕えており、凌統の父、凌操を弓で射殺した張本人なので、凌統から恨まれていたのです。凌統と甘寧の関係は、最後に記載します。

 

張遼の猛攻から命懸けで孫権を救う

 215年の合肥の戦いで、劉備陣営との抗争が一段落ついた孫権は、自ら10万の大軍を率いて合肥に進攻します。この時合肥城内には、曹操配下の張遼・楽進・李典がいましたが、兵は7000程しかおらず、3人は不仲だったため孫権が有利に思われました。しかし3人は一致団結し、張遼は800人の精鋭を率いて、明け方に孫権の本陣に斬り込み、孫権の目前まで迫ります。前線にいた孫権は被害を出しながらも、張遼の挑発には応じず、張遼の軍を包囲しました。

しかしここで孫権軍にとって想定外の事態が起こります。張遼は左右を指差し左右から包囲を突破すると見せかけ、孫権軍の意表を突いて包囲の中央を強襲したのです。張遼以外は数十人の兵しか脱出する事が出来ず、包囲の中に取り残された兵たちが「将軍は我らを見棄てられるのですか」等と叫んでいるのを聞いた張遼は、再び包囲に突撃し残された兵を救出しました。

 戦いは明け方から日中まで続き、張遼の凄まじい攻撃に戦意喪失した孫権軍は、合肥城を陥落させる事は無理だと判断、疫病が発生した事もあり、遂に退却を開始します。孫権は自ら退却の指揮を取り、1000人弱の兵士と呂蒙・蒋欽(しょうきん)・凌統・甘寧と共に最後に退却しようとしますが、これが裏目に出てしまい、張遼と楽進らに奇襲をかけられてしまいます。更に退却時には、架かっていた橋が3m程撤去されており、窮地に陥ります。

絶体絶命となった孫権を撤退させるため、凌統は腹心の部下300人を率いて奮戦します。孫権が無事退却に成功したのを見届けると、再び戦場に戻り、敵兵数十人を討ち取ります。橋が壊されていたため、鎧を着たまま泳いで帰還した凌統は、全身に傷を負って瀕死の状態でしたが、一命を取り留めました。しかし、凌統は部下が全員戦死した事を知ると思わず涙します。これに対し、孫権は自らの袖で涙を拭い「死んだ者はもう戻ってこない。だが、私にはまだあなたがいる。それで十分だ」と慰めたのでした。この功績により凌統は偏将軍に昇進し、以前の倍の兵を与えられたのでした。

 

正史と演義での甘寧との関係性

 凌統にとって甘寧は父の仇であり、甘寧を恨んでいましたが、正史三国志と三国志演技では二人の関係は異なっています。

まず正史三国志では、甘寧は凌統の仇討ちを恐れ凌統に会おうとせず、孫権も凌統に自重するよう求めていました。しかし呂蒙が宴会を開いた時、凌統が剣舞を舞うことになった際に、甘寧が戟を取ったため一触即発の状況になります。幸い呂蒙がその間に割って入り、その場はそれで済みましたが、孫権は甘寧に半州に駐屯させ、凌統と引き離したといいます。

一方の三国志演義では、父が孫策に従軍した時一緒に付いてきて、父が甘寧に射殺された時は必死でその亡骸を奪い返しています。更に、甘寧が孫呉に降り黄祖を討った時の宴会で、凌統はいきなり甘寧に斬りかかっています。しかし合肥の戦い時、曹操配下の楽進との一騎打ちで、窮地に陥った凌統を矢で甘寧が救ったため、それ以降二人は堅い親交を結ぶという、正史とは対照的な関係になっています。

 しかし、凌統は財を軽んじ義を重んじる国士だと評判でした。精鋭1万人余りを配下に得た後で故郷を通りかかった時にも、役人に対し礼を尽くし、古馴染みにも親しんでいたといいます。また平素から優れた人物を愛し、周りに慕われていたようです。

 

f:id:hachibooks:20200817224907p:plain